姿を見ている状況では、ふたりの声が似ていると思ったことはなかった
それが、ふたりともzoom稽古カメラオフのとき、まいちとゆきちの声が似ている
どっちがどっちの声かわからない
普段、如何に視覚に頼っているのかということ
見えるものを頼りにしているってこと
※ここからは長くなるので、お好みでどうぞ
zoomには、カメラオフという機能がある
ある時、zoomカメラオフについて考えるチャンスを与えてくれた人がいた
見えないものを見つめることに脳みそを寄せると、そのことを想いだす
人間は五感…聴覚・触覚・嗅覚・視覚・味覚(+第六感)を使って、生きている
そんななかで、目が見える人にとって視覚の力は大きい
生まれたばかりの赤ちゃんは、光を判別するぐらいでほとんど目が見えないらしい
それは、視覚からの情報量が多すぎて、一気に目が見えてしまうと、脳の処理が追いつかず、脳のエネルギー消費量は半端ないので、命の危険があるためだという
それぐらい、視覚の力は大きい
しかし、目の見えない人は、その視覚がない(弱い)ために、他の四つの感覚が、目が見える人より優れている
優れているというか、生きていくために視覚以外の感覚器を発達させる必要があったから
自分が目が見えなかったら、って考えてみる
そしたら、必然的に目に見えない部分で感じようとするだろう
目の前にいる人の、声や空気の振動や匂いを感じようと、視覚以外の感覚をフル稼働することが予想される
zoomのカメラオフ時には、視覚以外の器官が鍛えられているのではないか!
zoomカメラオフっていうのは、電話とは違う感覚がする
電話の場合は、自然と聴覚に意識が集中している感じがする
比べて、zoomカメラオフでは、見えてないものを見ようとする力が働く
(個人差はあるかもしれないが、私テトテはそうです)
自分がコミュニケーションをとりたい、相手のことを知りたいから、どのような状況下であれ、こちらからその状況で使うことのできる感覚器をフル稼働させる
五感(+第六感)を稼働させて、演劇したい
だから、このカメラオフの人がいる場合には、普段は視覚の力が大きいがためになかなか発揮できないその他の感覚器官を鍛えられるチャンス!(テトテ個人的見解)
とはいえ、実際には目が見えるから、「見たい」というのが、人情っすよね
そして、せっかく授かった視覚を使わないのは、つまらない
視覚が大きな力を持つのにはきっと大きな理由があるから
その大きな理由は、各自で創造し、培っていくのだろうな
目が見えるって言うことは、美しい景色や愛しい人の顔を見ることができる
有難いこと
自分の目玉に感謝です
ところで、人間が一番最初に持ち、一番最後まで残る器官は何か?
それは聴覚だといわれている
赤ちゃんは、お母さんのおなかの中で形を人に変えていくときに、まずはじめに聴覚が発達
お腹の中で、お母さんの声をいつも聴いています
生まれてきたとき、目がほとんど見えない赤ちゃんですが、お母さんの声はよ~くわかるという
寝たきりのおばあちゃん、認知症で意識もない状態でも、「おばあちゃん」って声をかけると、手の指が動いたり反応したりすることがある
「声」って、すごい
声は聴覚で感じるだけでなく、毛穴など触覚でも感じる
声は空気の振動だから
声の出ない人でも、息づかいで空気が振動するはずと予想
最後に、、、
目の前にいる人が、ロボットかロボットじゃないかはきっと、目を閉じていてもわかる
わかりたい
視覚の力が大きいためになかなか意識することは難しいけれど、そのほかの聴覚・触覚・嗅覚・味覚(+第六感)も使って生きてるはずなのだ
目の前にいるのがロボットだったとしても、もしかして、ロボットに見えるこの目の前の存在のなかに、もしかしたら人が入っているかもしれない
人じゃなくても、何かの魂が入っているかもしれない
もしかしたら、もしかしたら、ってそのものを探っていきたい、知っていきたい
そこに、自分が生命を感じるかどうかで、どんなものにも命は宿る
って、自分は信じてる