
台本のセリフは決まっている(ときが多い)
毎秒毎秒
セリフのないときも
相手のセリフを聞いているともき
自分のセリフを言ってっているときも
その役がどんな気持ち※なのかという気持ち※の部分は
私たちが創っていくところ
そこは我らクリエイト
考えていく悩んでいく
苦しみ悶えていく
生み出していく
ひとつひとつ
相手の言葉を聞いているときの気持ち※
自分が言葉を発するときの気持ち※
沈黙しているときの気持ち※
気持ち※が繋がって存在が生まれる
どこで
スイッチが入るのか
どこで
スイッチが切り変わるのか
なども意識していくぞい
※久々(3年ぶり)に投稿を読み返す2025/9/17
「気持ち」と表記している部分に違和感
3年経て、「気持ち」と表記している部分についての捉え方が変化
そもそも「気持ち」とは何ぞや
持っている気・・・
思考というほうが近い気がしていて
でもここでまた思考とは何ぞや
思っていること
考えていること
感じていること
それってどこで感じてるのかとか
頭ではわかっちゃいるがとか
感情を持つ生物としてのとか
ややこしさとわかりやすさ
明確には区分できない
交じり合っているところもある
そして創るのは、
そのような思考の流れが、そのように見えるには
どんなアプローチがあるのか
でも、まずは台本から思考の流れを汲み取っていくことが必要になって
それは、台本という地図をもとに、目的地までの道筋を見い出すことに近いのかな
だいたいおおむね道筋に沿っていれば